じぃちゃんの思い出
「木魚をひとつ叩くたびに、故人と一緒にいた時間がだんだん遠くなってしまうのが悲しいことですが・・・親の葬式を出してこそ一人前です。故人も皆さんに、がんばって生きてこいよ!と言っていると思います。」
去年11月11日にじいちゃんが亡くなった。92歳。
今年の2月26日にはお母さん方のじいちゃんが亡くなった。78歳。
ぶっちゃけ、マイミクさんの日記のお坊さんの言葉を見て、
涙がとまらなかった
泣き虫はカッコ悪いと思ってたが、涙もろいのは母方のじいちゃんゆずりだと、亡くなってから知った。
ふたりのじいちゃんが亡くなったとき、どちらのお坊さんも
「今生きているものは生かされているんです。故人は無意味に亡くなったわけではないのです。
自分の死をもって、今生かされている人に何かを教えているんです。」
というようなことを言っていた。
92歳の父方のじいちゃんは太平洋戦争で陸軍曹だった。
数え切れないほど、たくさんの人を「国のため」に殺していた。
だからこそ晩年は、お寺まわりと故人の供養に、他の人の何倍も時間をかけ、欠かすことはなかった。
自分がそれでもらっている年金のほとんどを、お布施や募金へと惜しまずまわしていたらしい。
じいちゃんの財布に、
海兵隊で戦死した弟さんの写真がいつも入ってたのを、知っている。
そんなじいちゃんは実は、鉄砲で一度胸を撃たれている。
死んだとみなされ、その辺の死人と一緒にどろ布をかけられていたらしい。
そこに通りかかった動物病院の先生が、
じいちゃんのかすかな息に気づき、急遽治療をした。
その名残で、X線写真のじいちゃんの体には、いたるところに、金属の破片があった。
そのときに、九死に一生をへて、
今の孫の私たちがいるかと思うと、ほんと運命や縁てすごいと思う。
何十年間も、朝 晩毎日2回の、般若心経をいつも絶対欠かさなかった。
台風や雪や体調不良なんて関係ない。
そんなじいちゃんが大好きで、小さいころから金魚のふんのように、後ろをついてまわった。
今でも般若心経は全部口をついて言える。
絶対に忘れたくない人で、そのじいちゃんの教えも忘れたくないからこそ
今こうやって書きとめておこうと思った。
人の文句も何ひとつ言わないで、人の文句やぐちを聞くことが大嫌いだった。
ばあちゃんがじいちゃんに、お母さんの陰口をいうたびに
「人が好かんことを言うな!!!」
「そんなことを言うと、人は好かん!!」
「人のことば考えてものば言え!!」
「人の好いとる事をしろ!!」
と怒鳴っていた。
全部自分よりはまず人。
だまってやる行動の影には、必ず孫の私、兄弟、親戚、友人のための何かがからんでいた。
そんなじいちゃんの体がだんだん弱くなっていって
一度、弱くなるとガクっと体が動かなくなっていった。
足は弱って歩けなくなった。
そのとき私はもう東京にいたので、じいちゃんが体調が良くなったり悪くなったり
していたのを聞かされていた。
いつも、ひとりで部屋の椅子に座ってテレビを見るか、寝てるか。
誰もじいちゃんの近くにいなかったときがあった。
孫の私の声を聞いたり、私が話しかけてくるのが大好きで
一番元気になることはわかっているから、「ドコモの受信専用携帯」を買ってあげたことがあった。
待受画面はもちろん私とネコ。
でも、年寄りだからか、うまく使いこなせなかったけどね。
すんげー喜んでたよ、でも。
「個室露天がついてる旅館に連れて行くから、それまで少し足だけ鍛えといてよ」
家族と親戚一同、食ってかかるように
「もうじいさんは無理だ」
と言った。
すんげー腹がたって
「高級旅館は絶対客を疲れさせないんだよ。二時間車にさえ乗れりゃいけんじゃん、
無理なのは自分たちが安物旅行で疲れたことしかないからでしょ。
直接じいちゃんに聞いてみらんとわからんやん、ね??行きたいよね?じーちゃん」
「...うん」
人一倍人に気を使わせることを気にする人だったから
「全然気なんか使ってないよ」的な
さばさば態度をとるのがうまくなったのはじいちゃんのせいかもしれない。
私がサクっとした態度で電話で伝えたとき、電話を切ったあと
歯をくいしばって泣いていたらしい。
それまで、家族のお母さんもばあちゃんでさえも、誰もじいちゃんの涙は見たことはなかったらしい。
それからというもの、生気を吹き込まれたかのように
じいちゃんが足のリハビリを始めたのは、ほんとにうれしかったなぁ
でも、一度栄養失調になってしまったのが、最悪だった。
それから救急車で運ばれ、とたんに病院生活に入ってしまった。
もう千葉の村上にいたころそれを聞かされ、それからは実は、毎晩泣いていた。
福岡に帰ってからは、
毎日毎日、毎日毎日病院に通った。
毎日、ペンと紙を持っていき、字の練習をさせた。
私の名前、家の住所、暑中見舞いもうしあげます。など・・・
戦争のときの話をふった。
じいちゃんの大好きな相撲がもうすぐ始まる話も。
いま総理大臣が変わった話も。
今朝のニュースも。
じいちゃんも知ってる、幼なじみの私の友達も連れて行った。
その子供も連れて行った。
ほんとうは、じいちゃんが死ぬ前までには、自分の子供を一番にじいちゃんに見せたかった。
好きな曲も、イヤホンで聞かせた。
速聴は頭を活性化するからなどと、むりやり聞かせたこともあった。
一緒に写真をとった。
寂しくないように私がまわりにいるように見えるように、
私とじいちゃんの写真を見える位置全部に貼った。
看護婦さんは適当にやるから、おしぼりで顔もまいにち磨いた。
骨みたいな手は、ずっとマッサージした。
冷たい手が、ずっとやってると温かくなるんだ。
「真理やんか」
入院したての頃、この質問は、ばかにするなという感じだった。
それが
「私名前なんでしょ?」
「・・・まり・・・」
しゃがれた声になり、
「じいちゃん私は??」
「・・・・しらん・・・」
「じいちゃん私分かるね?!」
「・・・」
もう隣のベッドのおばちゃんに泣きつきたくなった。
おばちゃんは今までの私の行動を全てみてきていたから、
何も言わなかった。
亡くなる寸前までは、親戚全員が集まった。
他の病室を見ていると、亡くなっても、そばに誰もいない人もいる。
長年付き添ってきた女房ひとりにみとられる人もいる。
看護婦さんが
「もうすぐご家族親戚呼ばれたほうがいいですよ」
といっても、誰もきてくれない人もいる。
そんな中、三人の子供とその配偶者の親戚陣、その孫も全員、
仕事をやめて遠方から、全員集合してもらえるじいちゃんを見て、
人徳の大切さを見せ付けられた。
人の文句って、誰のものでも、一回は聞くもんだよね。
でも、「じいちゃんの文句」って、誰からも一言も聞いたことがないんだ、ほんとに。
じいちゃんが生前、子供たちに(私のおばさんたちにあたる)
いつも言っていたことがあった。
それは、
「人の文句を言うな」
いたってシンプル。でもこれだけの人に影響を与えているこのパワーはすごい。
うちは、お母さんもその家族も、お父さんも兄ちゃん2人も信仰心にあつい。
それと比べ物にならないほど、特に信仰心の強かったじいちゃんを見て、みんなこうなったんだ。
ずっしりと太い芯が通ってる感じ。だから精神力がものすごく強い。
余計なことはしゃべらない、多くは語らない、いつもにこにこ。
だから、口にした言葉の意味が深い。
ほんとにあこがれる。
これだけ、信仰心が強いとこんな立派になれるんだ。
私もなりたいと実は、本気で思っている。
「余計なことはしゃべらない、多くは語らない、いつもにこにこ。」
それには、もっと精神的な多くを学ぶ必要があるんだ。
今回長く書いたけど、
これで、じいちゃんの思い出は、ずっと忘れないでいられる。
こういうデカい教えを刻まれた時って、
絶対何かに記して残さなきゃな、て思った。
そうすればいつどこにいても忘れなくてすむもんね。
人が亡くなるときって、故人がその一生をかけて、
今生きている人に、教えを残す瞬間なんだとおもう。
それはほんとに忘れちゃいけないし、その時だけの戒めで終わらせるべきじゃないよね。
それだと、死をもって教えを残した人にあまりに失礼だ。
今回、時間がたって薄れかけていたものを、思い出させてくれた、ぐっつぁんづしゃんに感謝!
ありがとうございました。
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